diary

0426

午前中にゼミ。そのあと友人と議論してすこし喧嘩腰になるなど。寝不足の午前中は気が立っていてよくないですね、というせいにしておく(悪かった、反省している)。議論自体はたいへん有益で、新しい視点が得られた(そのぶんだけ薄気味悪く思えるものも出てきたけど)。説明するってすてきなことだと思った。

四限になんかまた遠隔授業をうけた。今日は量子コンピュータのはなしだったけど、これ大学院生にする話かーと思った。どっちかというとサイエンス・ショウという感じ。まあどうでもいいですけど。

夜は友人宅でシチューをごちそうになりました。焦げてるって言ってたけどわりあいおいしかったと思います。


明日はまた輪講。夕方は実験のガイダンスで、それまでに相方と落ち合って実験の相談をします。いちおうメールで希望は出しておいたので、まあ最終調整といったところ。

それからなんか、研究室の(会ったこともない)先輩の父親と食事をするというおそろしいイベントがあるらしく、どうしてそんなものに当人を見たことさえない僕が狩り出されねばならないのかと思えど、まあ頭数を揃えなければならぬらしく、当然僕はそういった対人シチュエイションに絶望的困難を感じており、ただただ無難に過ぎ去ることを祈るほかなく。失礼の無いようにと言われてもなにが失礼に当たるのか過去の経験はなんの処方も与えてはくれず、そもそも一挙手一投足すべてが失礼なのだと言われればハイソウデスカと言うしかなく実際にそういった事例は観測されており合わない人とは徹底的に合わぬ。アタマイイっぽい話は禁止と言われたものの、それを禁止することは何らかの意味で人格の否定でさえありうると多少憤りはする。とにかく明日は同じように居心地のわるい思いをしていると推測される同期と寄り添いながら零点振動の如く景気の悪い表情を浮かべておくよりやり過ごしように困る。それなら何しに行くのかと、問われてみてこちらも首をかしげる。行く前から帰りたいとはこのことである。帰りたい。

社会勉強って言葉使いたいだけ感ある(社会勉強って言葉自体にそういう趣は感じる)。


みっともないなーと思いながら薄気味悪いコミュニケイションに身を委ね薄気味悪いと知りながら救いを求めています(実際救われています)。

もうすこし、しゃんとして、たくましくならなくては、いけないのだと、思います。そうでなくては、いつまでも僕は僕に価値を見いだすことはできないでしょう。誰にも価値を見いだしてもらえないでしょう。僕は、たったひとりの、誰かのために、人生のすべてを賭けたいと、手放しに憧れています。いまはだめだ。いまの僕は弱すぎる。人間を不幸にするしかできない。そうではなくて、(職人の持つひとそろいの道具のように?、)誰かを、助けたい。それによって自分の存在価値を維持する、その醜悪なるを受け入れてなお、それによって幸福でありたい。
そんなこと、無理なのは、知っています。


ねむいです。レポート書きかけたけど友人に托しそびれたし、しんどいから一限はいいや、もう。