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朝から病院にゆき、大学病院に紹介状を書いてもらって大学病院に。大きい病院は記憶の中では初めてなのですけど、なんかシステマチックでいいですね。ちょっと好きです。
診断としてはまあ、怖い病気ではないけど面倒な病気のようです。長いと一ヶ月くらい。とりあえず今週は安静にして、来週また血液検査で様子を見ましょう、とのこと。実験がvanishしそうだけど先生になんてメールすればいいのかわからなくて憂鬱です。
そういえばいつのまに注射が怖くなくなったんだろう。昔は予防接種も泣きながら回避してたのに。いまも注射の時はそのことを思い出して、ああやっぱりこわいに違いないと思うのだけど、実際やってみるとそんなに痛くないし、やっぱり過剰に恐れすぎていただけなのかな、と思います(それでも毎回そう思うからやっぱり恐れているのですが)。昔はもっと痛かったような気がするのだけどね。不思議。
いろいろ待ってるあいだにペスキン5.1まで読了。クーロン力が反発的であるのは交換されるボソンであるフォトンのスピンが1であることと計量の0,0成分が逆符号であることに由来していて、たとえば湯川相互作用の場合は交換されるのがスピン0粒子だから(-1)^0=+1となってattractive、重力の場合はスピン2のグラビトンだから(-1)^2=+1となってやっぱりattractiveなのだそうです。なんかこう、すごい。
あとアレクサンダーの角つき球のことを調べていました。昔こいつを初めて知ったときにはなにがすごいのかわからなかったのですけど、ようやくわかりました。こいつの外側の空間って単連結でないのですね。ちょうどトーラスをくり抜いた場合と同じような感じになるのだけど、アレクサンダーの角つき球はトーラスと違って、内側は単連結なのですね。だから変。とりあえず、そんだけ。
山へ芝刈りに行ったおじいさんが連れて帰ってきたのは竹から生まれたかぐや姫。一方洗濯をしていたおばあさんは上流から流れてきた不思議な時計を拾います。あれよあれよと人間的成長を遂げるかぐや姫、やがては月に還ります。引き留めたい両名、縋る思いで拾った時計を逆に回すとアラ不思議、姫は子供に戻ります。そうして何度も時を戻して引き留めつづけ、幸せな日々が続くかに見えた矢先のある日、時計は壊れてしまいます。動かなくなった時計、動かなくなったかぐや姫。途方に暮れる両名、村でいちばん賢いと評判の若者ダイダロスに相談してみると、「それなら枕元に手紙を置くとよい」との返答。戸惑いながらも思いの丈を綴って枕許に置きます。すると翌日。芝刈りと洗濯から戻ってみると、なんとそこには返事が。あわててかぐや姫の様子を見るも、やはり時が止まったように動かない。どういうことかと若者に聞けば、「止まった時計も、一日に二度は正しい時刻を指すのです」とドヤ顔。おじいさんとおばあさんとかぐや姫、三人の奇妙な共同生活が始まるのでした。めでたしめでたし。
友人と「時計に関するいい話」について考えていたときに書いたもの。長さを縮めようとしたのでいろいろ切羽詰まってるのと、そもそもこれはべつにいい話ではないのではないか、というのと。
さて、せっかくの春休みだし、安静にしている以外にやることもないのでエロゲやったり本を読んだり勉強したりしましょうかね。