四月二十三日ですけど!
そういえば書いてませんでしたがまどマギの感想は「よかった」でした。大きな安堵感。
昨晩はバイト先の社員の家の巨大なスクリーンでみんなで長門の映画を観てまどマギを全話観ました。朝の七時までかかりました。帰って夕方まで眠ってゼミの準備をしています。fが風邪を引いたらしいので買い出しにゆきました。
「涼宮ハルヒの消失」、また観ました。長門はかわいい。あの長門をただかわいいと思うのは長門に対して失礼なことだと思うのですが、でもあの長門をかわいいと思わないのも長門にとって悲しいことだろうと思います。だから、あの長門はかわいかった、そういう立場を局所的に採用することにするのですが、そうするとあの話は悲しい。君は主人公じゃないんだ、主人公はほかにいるから。否応なく物語を牽引してしまう存在が、ほかにあるから。どうしてそんなことを長門に思い知らせなければいけなかったのでしょうか。ハルヒがあくまでフェアであったように、長門もあくまでフェアであった、それだのに、彼女らの役割はそれを許してくれなかったのです。長門と二人きりの文芸部を、時間軸がどうとかいって許してくれない力があったのです。長門が結局どこまでの記憶を持つのかわかりませんが、お前はああいうのがやりたかったのか、と訊いてやることさえ許されなかったのです。
まあそんなことどうでもいいんだけど。長門がかわいいことと背筋のびりびりする感じは別ですからね。エヴァンゲリオンを意識してるところとか、上手くいっていないと僕は思います。あとやっぱりライトノベルって耳で聴くとすごくあれだ。あの手の文体は、文字情報を文字情報のままに咀嚼することを獲得した人類のためのものなのだなあ、と。
長門に関するすべての話の、一番最後のラストシーンは、宇宙的存在としての長門を、きれいに結晶したような話だったらいいな、と思います。四次元に広がった時空を慈しむ長門。わたしはあなたたちとは違うけれど、あなたたちの紡いだすべてを愛しています。いつか滅びるものだとしても、わたしはそれを忘れはしません、と。
なにを言っているのか。
明日はSとうちでゆっくり過ごします。