十一月三日ですけど!
文章の端々に「文化的に」という文句を挟んでやろうかと思いましたが可読性を損なうのでやめました。
Sと西洋美術館にゆきました。絵画というものはよくわかりません。それを何のために描いたのかとか、そういうことがぜんぜんわからないのです。
昔と比べると、宗教画(?)というものたちはすこし好きになりました。神というもの、救いというものを描いてみせることへの情熱がわかるようになったからでしょうか。
高校の物理の時間に、いろいろな公式をまとめたプリントが配られたことがあるのですが、あれは僕にとって宗教画と同じような意味があるのだと思いました。僕が信じるものがそこに描かれて表現されているという点で。最終的に、物理学は一つの絵のようになればよいと思います。そこにはすべてが描かれていて、どんな微細な現象も導出することができる。信じることができる。それが一枚の絵という形で一堂に会していることがきっと大きな安心感をもたらしてくれるのだと思います。昔の人がさまざまに神の絵を描いたのと同じように、さまざまに理論はつくられている。ただそれは検証され続けているという点で違うのだけど。
それから、いわゆる二次元絵というものとの比較のことを考えていました。聖書の一場面を絵にしたり、誰だかよくわからない綺麗な人を描いたり、そういうのって同じことだと思うのです。それと、観る人の心を動かそうという情熱という点で宗教画の類と桃色図書なんかに似たものを感じます。このへんはもうちょっと深く考えてみたらおもしろいのかもしれません。おもしろくは別にないのかもしれません。
時代が下って、ピカソとかになるとよくわからない。もっとわけのわからない抽象画?は、気に入ったものもありました。なにを描いているのかぜんぜんわからないけど、なんだか気に入るものって不思議だ。そういうのを計算ずくで描ける人がいるなら、これは途方もないことと思います。自分でもそういうことができたらいいのに。せめて、自分だけは気に入るようなものを作り続けていけば、いつか気に入ってくれる人がいるかしら。
そういえば僕はたぶんゴッホがすこし好きで、これはたぶんゴッホの生涯とか作品を扱った絵本が実家にあったからかな、と思いました。
あと銅版画はすごい。いや、銅版画という技法がその他に比べてどうすごい、みたいな話ではないのですが、とにかくすごかった。パリにちょっと住みたい。
すこし具合を悪くしてしまいました。明日は実験最終日とバイトです。そろそろ論文も読まなくてはなりません。ぴんち。