0826
夕方にfとドンキで水着とサンダルを買いました。f関係なかった説。そのあとf宅で女子サッカーを観ました。9番のひとがフリー・キックも上手いしかわいいと話題に。
あと二十何時間かテレビの最後だけちらっと観ました。人間が長距離を走ってゴール、というのはわりと巧妙なハックのような気がしました。古くから知られている手法なのでしょう。
なんかこう、高校の友人っていいなあと思います。相手がどんな知識を持っているか、どういう推論ができるか、について、安心感があります。その上でおもしろいことを積み上げられる、というのは貴重なことだと思います。
計算能力で殴ること。
もっと意識的に「計算能力で殴る」ことをやってゆかないといけないのかなあと思います。小さな思いつきを機械の力でブーストして振り回す、というようなこと、とりあえずやったもの勝ち的なところはあって、そこを見えているのに放置するのはもったいない、ような気はする。
たとえば「桐島、部活やめるってよ」という文字列があったとして、この「桐島」だの「部活」だののところをとりあえず機械的に置換して一覧してみたり、それをgoogleの検索に投げてみたりとか、そういうことを低コストでやるためのツールを用意すべきなのでは、とか。
検索、というものをもっとうまく使えるようにならなくてはならないな、と思います。ふと四則演算するように、ふと検索を行う、というくらいの距離に、手許に道具として置いておかなくてはいけないと思います。大雑把に平均したり分類したり、それくらいのことしかできなかったところに、個別にあたって選別整列するための手軽な手法があって、それはきっと、これまで不可能だったことを可能にする。不可視だった風景を顕現させる。
たとえば漢字を読みで束ねた一覧。画数で束ねた一覧。偏と旁で。位相不変量で。由来で。旧字体と。それを瞬時に展開して、別な変換の入力とする。桐島に。磯野に。妹に。ヤスに。だからそのためにはもう一つ必要なものがあって、たとえば科白の全文検索。それらの直積集合を大雑把に構成してスコアを振り整列する。そこまでを機械的に処理してはじめて想像力が腰をあげる。
ような、気がする。この風景は、まだそれほど古くはないだろう。
明日の準備をして寝ます。「屍者の帝国」、2/3くらい読んだ。けっこうおもしろいし好みの雰囲気だ(しかも普通の小説だ!)けどこれどうするのだろう。