0618
喉の痛みが抜けません。左右左右ときていま三度目の左に来ました。なんだお前は。
仕事はIAPまわりの検討。とりあえず必要な手順は洗い出したけど、工数はまだ未知数。あと、これ規約的に大丈夫なんですか、みたいな話もあって、僕としてはグレーゾーンに手を出したくはないのだけど、きっとそんな風に思ってはくれないんだろうな、という諦めもあります。うーん。
あと四半期面談をしました。最近思っていることとかちょっと話せたのでよかった、けど、ちょっと話題の方向性を失敗したような気もする。もうちょっとメンタルな問題なのよ、これは。
勉強会、Haskellの次はなにがいいですかねえ、という話もしました。リファクタリングの本とかやるのもよさそうだし、「レガシーコード改善ガイド」とか読むと即戦力になるかも、とか。Haskell勉強会、なんだかんだで良い雰囲気で続けられているので、このメンバかもうちょっと加えたくらいでまたなにか読みたいなと思うわけです。うん、楽しいな。
あと会社の人とslackもっと使いこなしてゆきたいよね〜という話をしたり。redmine連携とかするといいのでわ、みたいな話をしたけど、webで見つかるredmineスクリプトは非常にふがいない感じなので、やっぱり作るかなあ、とか。coffeescript、だいぶ慣れてきた(最近はtwlg関係でも書いてるし)。
そういえばtwlgはインポータとクローラがちゃんと動くところまできたので、今夜あたりpm2の設定とかしてデプロイしようかしら。でもpm2のcron機能はちゃんと動いていないらしいので、それはやっぱりcronでやるしかなさそうです。しょぼーん。
「国旗及び国歌に関する法律」という短い法律があって(二条しかない)日本の国歌は「君が代」である、と定めているのですが、果たして歌というのはどこまで法律で縛れるのでしょうか。この法律には歌詞と楽譜が添えられているので、音階までは定義できるのですが、見た感じテンポの指定は存在しないし、たとえばキー?を変えて歌うとどうなるのかとか、下手な人が歌うとどうなるのか、などの規則は存在しません。これが問題になる状況は人工的にさえ作るのが難しいと思いますが、そういう場合に裁判所はどういう判断をするのでしょうか。というか、どういう根拠で判断すればよいのでしょうか。
この難しさは、料理のレシピにも似ていると思います。一応標準的とされる手順やいくつかの要素はあるけれども、作る人や時や場所によってさまざまに形を変える(たとえば「雑煮」とは何か、など)。おそらくウィトゲンシュタインならば「家族的類似」を指摘するでしょうが、それは法律というものと非常に相性が悪い。今はぜんぜん似通っていない二つのものを繋ぐ中間地点が未来のどこかで現れないとも限らない(誰かと誰かとが結婚し子をなす前には家族的類似で結ばれないように)。それはどう扱うべきなのか。
みたいなことを。