0925
昨晩、眠るまえに眠剤を飲んだら、眠りに落ちるまえに幻覚をみました。金縛り的な要素もあったのかもしれない。詳しいことはTwitterに書いたのですが(だって初めての経験に大興奮していたのです)、日本語が盛大に崩壊しています。これは手が震えたり誰かに腕をつかまれていたり(これはあとで自分の左手だと気づくのですが)していてちゃんと入力できなかったことによります(どうでもいいけどこれは日本語の崩壊と呼ぶべきではないな、そういうのが適切なのはたとえば文法的・語用的?におかしいときであって、これはただ記述が崩壊したというべきだと思う)。いま読み返すと、わりと人様にお見せできるものじゃない感ありますね。ご迷惑をおかけしました。
午前中は保健センタにゆきました。研究室やめたい話。僕としてはもはやこれ以上ただ苦しいだけの環境に居続けたくないし、これは僕がようやくじぶんのリソースを割く対象を見つけることができたというモラトリアムの終焉でもある、みたいなことを(こんな言いかただったかは忘れましたが)言いました。一方で、そういうお話もまたひとつの逃げをごまかすために作られたものだとも思う、とも。そうしたら先生は、それでいいかもしれない、あなたは十分にそのつらさと向き合ったと言えると思う、というような意味のことを言いました(けれど、いまいちどういうことだったのかピンときません)。とにかくボスに堂々と相談してみるといい、ただ、その後の居場所としてアルバイト先は中退でも雇ってくれるのかは確認したほうがいい、というような話はしました。それはそうなので早いうちに社長にメールすべきなのですがなかなか決心できません。ボスと話をするのもこわいです。好都合なことに明後日にボスと面談することになっているのですが、もしその話をするのなら事前にメールで断っておくべきだとも思う、そのメールがこわいです。
決心できない、そう、なんだか急に話が現実的になった気がして、僕はすこし怖がっています。怖い。おもいつきで言ったことが真に受けられてしまうような種類の怖さ。居心地の悪さ。だけど僕はここで勇気を出して選ぶべきなのかもしれない。そうしなければ、僕はこれからも(少なくとも輪講の発表までは)死にたい死にたいと思いながら生きてゆかねばならないし、それならば、死ぬための勇気なんかよりは、生きるための勇気がほしいと僕は思う。だから、選ばなければならないのだと思う。
これと似たような居心地の悪さには覚えがあります。高校三年生のときに、なんだか授業に出るのがとても気だるく思えてしまって、頭が痛いとかなんとか言って早退しようとして先生にそう言ったのです。それで、保健室で見てもらってから帰りなさい、と言われて、黙って帰ればいいのに僕は保健室に立ち寄って、熱はないんだけど具合悪いのならすこし休んで様子を見なさいと言われて横になって、結局一時間くらいして教室に戻ったのでした。おしまい。
それで、いま大学をやめよう、と思ったときに、そのときのいやな気持ちを、すこしばかり思い出すのです。僕はただ逃げたいから逃げようとしているのだと僕が僕に警告しているのかもしれない。でも僕はもう僕がつらいのかつらくないのかもよくわからなくなってしまったのだもの、もう赦してほしい、もう見逃してほしい、誰も僕を助けてなんかくれないのなら、もう僕にかまうのはやめにしてほしい、ああ、ああ。
ここにこんな弱音ばかりならべてどうしようというのだろう。
午後は研究室にいました。図書室にゆこうと思ったのだけど、図書室に行っている場合ではないような気がして(ボスと面談するために進捗の資料を作らなくてはいけませんから)、だけどなんにもやる気がでなくて、ぼんやりと座って居眠りをしていました。夕方くらいになって、ようやっとすこし作業をしようと思って、グラフを描くソフトでグラフを描きました(ちょっとむつかしかった)。明日はちゃんと資料をまとめなくては(最近図書室に行けていない、心が落ちつかない)。
夜はバイトの作業をしています。なかなか切羽詰まった状況。これからたぶん母とskypeで進路のことを相談します。ボスとか社長にメールを書くのはそれからにしよう。
明日はボスとの面談のための資料作りと、あとバイトの作業。ちょっとがんばらなくちゃいけないな。