0903
今日も仕事を休んで点滴を受けました。一応今日でおしまいだそうです。別によくなった気はしないんだけど。
あと横腹に重い感じがあると言ったら超音波で腎臓を診てくれたけど、別段異常はないようです。腎嚢胞?があるようだけど、これは別にあってどうというものでもないらしいし。
結局具合が悪いのは抗生物質の副作用なのでは、みたいなあたりに落ちつきそうな気がします。マジかよ。
明日はなんとか会社に行ければと思います。たぶん行けると思う。自信ないけど。でも行かなきゃさすがにだめだと思うんだ。うー。
東京オリンピックのエンブレムについて、人々の不信が高まっていて、それはそれとして、当初の案よりも誰々が作ったこっちのほうがいいよ、みたいな話が何種類も流れていて、エンブレムのデザインというのは、どういうものであるべきなのだろう、とすこし思いました。
つまり、これがたとえば飛行機の翼のデザインだったら、レーシングカーの形状だったら、そこには「素人目にかっこよく見える」みたいな力の働く余地はほとんどなくて、力学への理解に裏付けられたなんらかの指導原理によって決定されるべきである、とだれもが納得するわけです。エンブレムはそうではないのだろうか。そもそもデザインというもののすべては、あまり知られていないだけで、ちゃんとなんらかの目的をもって見出されてきた指導原理によって作られるべきものなのではないかと、こう思うわけです。そうなると、素人目に良さそうな案がその目的にふさわしくない、ということは普通に起こり得るように思われる。ただ、その目的とはなんなのか、それを考察する方法論は十分に洗練されていると信頼できるのか、そういったところが広く知られていない(僕も知らない)のが、「誰のためのデザインか」なる声をあげさせるのだろうか、と思います。まあ、そもそも「良さ」が誰にでも評価できるような状況(科学技術はそれを大前提として進歩してきたが)のほうが異常なのかもしれない。そうでないものへの態度について、検討しなければならないのだろう。
東京都民なので
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/book/
なるものが届いたのですが、内容が思いのほかガチなのでちょっと怖くなりました。マジか、この人たち本気でこんな地震が遠からず来ると思っているのか。じゃあ僕がそう思っていないのは誤っているのではないか。みたいな。とりあえずちゃんと読んで、現実的にリソースを割ける範囲で備えておくべきかしら。
しかし、災害でなにもかも失いたくはないなあと思う一方で、災害でなにもかもが有耶無耶になればいいのになあと思う自分がまったくいないとは言えないことに気づくのです。そんなことがあっても僕はなにもいいことない(たとえばその中で勝ち進めるとは思わない)けれど、ただなにもかもが有耶無耶になって、いっそこの身もいたづらに、などと、はあまたお前は手癖でそういうことを言って。本気じゃないだろ。ないんだよな。そんなのわかるもんか。言ってる瞬間だけは少なくとも本気だぜ。そしてそれは誰だってそうだろう。どんなに否定してみせたって。