0826
仕事の前に病院にゆきました。金曜日じゃないからか非常に空いてたので得した気分。検査結果は感覚に反して前よりちょっとよくなっているみたいだけど、そもそもそこまで信頼できる検査でもないらしいのでよくわかりません。とりあえず薬を出してもらいました。
仕事は考え事。シーケンス図を描きながらいろいろ考えていると、やっぱりこれはこうしたほうがいいな、ということがどんどん出てきます。これはいい道具だな、もっと使っていこう。しかしそうこうしてるうちに明日レビューです。まだクラス図描けてないや。それにどこまで具体的に決めるべきなのかよくわからないし。
こないだ実家に帰って母と話していたときに、「あなたと話していると、世界のいろいろなものがどんどん難しいような気がしてくる」と言われたのだけど、僕はまさにそういうことを繰り返し言っているのだ。そのときはそれが社会の発達と関連しているように思ったけど、たぶんそれはそうではなく、世界に生きることの本質的難しさなのであり、世界のなかで自然に踊れるか踊れないか、という差があるのだと思う。踊れる人は踊っておればいいのだ。踊れない人は、それを分析し理解し応答しなければならない。
人と話していると、自分がそのときどう考えているかよりも、どうすれば自分がよりユーモラスに見えるかばかりを気にして話してしまう。そうした会話をあとで思い返すと、思ってもないことや整合性のとれないことや意味不明なことをたくさん言っていて、とてもつらくなるけれど、人と話しているときの僕はこの僕ではない、たぶんもっと昔の、人と仲良くするのがもっと得意な僕が、僕の辞書をめくりながらてきとうに話しているのだから、僕にはどうしようもない。それはとても悲しい。
僕が僕の言葉を僕の声で話すことができるのは、この日記やTwitterのような場所だけなのだ。それらの場所はとても安心できる。この僕にとっては。
明日はバイト時代の知人に夕飯に誘われています。具合が悪くならないといいのだけど。