0909
お昼前に研究室にゆき、同期に計算ソフトの使い方を教わりながら計算を進めました。おぼろげながらなにが起こっているかはわかってきたのですが、それをどうまとめてよいやら、まったく手につかないという感じです。僕は研究なんてやめてしまうべきだと毎日思っています。
午後に準ボスと師匠と研究の相談。今日はちゃんとメモを持っていったので、次回までにやるべきことをちゃんと覚えておくことができます。
そういえばセミナの発表を飛ばしてもらう件について言い出せませんでした。というかほんとうに飛ばしてもらえるのか?なんか無理な気がしてきたしそのこと考え始めると死にたくなる(ねむい、ねむたくなる)。無理だったら研究室やめよう。そうしようそうしよう(ねむい、ねむたくなる)。
輪講のこともすこし相談しましたが、あいかわらず先生は楽観的に考えているようでした。こわい。でも前よりはちょっと話すこと思いつきそうだけど、ああでも、ちゃんと考えようとするとねむたくなる。頭の中に音叉があってそれを叩いたような感じになる。みゅんみゅんみゅん。みゅんみゅんする(ねむい)。
僕はわかったふりをしすぎるからいけないのだと思う。
夕方、研究室で計算を進めながら哲学の本(今朝とどいたので出がけにポストから出して持ってきていた)を読んでいたら先輩たちに興味を持たれてしまって、それでひとしきりそのことについて話してしまいました(そういう空気だったのです)。恥ずかしい。「つまり『私』ってのは世界の限界なんですよ」だなんて、僕だってなにを言っているのか全部わかっているとは思えないのに。ああ、どうかみなさん興味を持たないでください。研究もしないでこんな本を読んで遊びほうけている僕を見ないでください。ああ、どうか(ああ、どうか)。
やはり読書は図書室で行われるべきなのだなと思いました。はあ、研究室にいづらい。
本のほうは、ウィトゲンシュタインについて僕のすこしだけわかっている前期のところから始めて後期までを独我論に視点を据えながらすすめるもののようで、これは楽しみ。だけどラマチャンドランも読んでるしな、あとappleのドキュメントも読みたいから、これは言語野が三つ必要ですね(言語野についてこういう数え方をすることが本質的に許されているのかよく知りませんけれども)。
バイト先の社員のひととちょっと議論になっていて、というより僕が反発しているだけっぽいのですが、ほんとうはバイトにすぎない僕がなにか主張するというのもおかしな話なのではないかと思うのに、そうして反論を試みてしまうのがとてもつらいです。ネットを介した議論では、相手がこちらの主張をどの程度不快に思っているのか、それともどの程度妥当な反論だと思っているのか、そういったことがまったく予想できないから、ああまた余計なことを言ってしまったとつらくなるばかりだ。
僕はほんとうに僕の口を永遠に塞いでしまいたいとしばしば思うのだけど、残念ながら僕の口は僕の管理下に置かれていない。口は禍のもとと古くから^[いつ?]いうが僕の口は楽しみだって生み出してきたはずと信じたい、だけどそんなこととは無関係に僕は口をつぐむべきなのだと思う。ああ。
僕は自分の主張が認められるべきなのか反論によって否定されるべきなのかを確かめたいだけで、べつに人を怒らせたりいらいらさせたり不快に思わせたりしたいわけではないのだと、でもそんなこと、わかってくれるのは僕だけだし、客観的に起こった現象によってのみ判断されるべきものだし、そうすると僕はやっぱり口をつぐむのが一番いいのではないか。
こんなことを思うのは、単に僕が人から嫌われたくないというだけのことなのだな、と思うと悲しい。
明日は二週間ぶりのカウンセリングとバイトです。カウンセリング、なんか先生が教室借りてそこで発表練習練習するとか言ってたけどまじかよ。やだな……。バイトはそろそろ大詰めになっているはずなのですがはたしてどうなのか。