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打ち合わせは無事終了。なごやかなムード。ただ、僕の感触としては微妙で、もっと食いついて欲しかったかな、という。それだけ安心されているのかもしれませんけど、僕自身はすこし方向性に行き詰まりを予感しているので、指示を仰ぎたかった、というところも。まあ準ボスとかと相談してゆきましょう。
準ボスに博士課程への進学を勧められました。ちょうど今、学振の亜種みたいなものの応募期間になっていて、同期がそのための書類を揃えているのですが、君は出さないの?という。ただ、採用されると博士課程への進学を確約しなくてはいけないらしくて、僕はそれはちょっと躊躇われる、と思っているので出さないつもりです。そもそも、修士一年にそんなことを決めさせるのはちょっと邪悪というものではないかねと思いはします。
昨日もすこし書きましたが、僕自身は研究という活動にあまり向いていないように思っています。でも、それは別に、向いていないことを三年よけいにやるくらいで特に問題は無いことであって、それよりも、カリキュラムとしての博士課程が僕はとても恐ろしいと思っている、というのが本心なのだと思います。研究室の英語セミナ発表が半年に一度回ってきたり、学科の輪講が年に一度あったり、博士論文を書いたり、そういうことが僕にとってはものすごく大きなストレスになっていて、耐えられる自信があまりないな、と思っています(なにしろ初めての英語セミナの前の取り乱しっぷりといったらなかったですからね!)。僕はそういうことをちゃんとできるほどsocialな(?)人間ではない、のだと思います。そして、大学の博士課程は明らかに、そういう人間を許容しないでしょう?(輪講に出なければ留年しますからね)
こういったこと、一度きちんと相談して対処すべきなのだと思います。とにかくボスたちは僕が博士課程に進むことがよいことだと考えているようだし(これはほんとうにいろいろなひとに言われる、そのいくらかは単に僕が社会不適合者であることの婉曲表現なのだとしても。)、僕としたところで就職してうまくやってゆける気もあまりしません(ソフトウェア・エンジニアになることは悪くない選択肢だといまは思えます(実態をあまり知らないのですが))。せっかく構築した人間関係をたった二年で刷新してしまうのもそれはそれでストレスですし、研究だって二年しかやらないのはつまらない、という予感もあります(だってもう1/4が過ぎているのです!)。そういうことを総合した結果として僕がどうすべきなのか、僕にはちっともわかりません。考えるのもつかれてしまったところがあります。僕はどうすべきなのでしょう。
まあでも、いずれにしても就職活動というものはしたほうがよいのだと考えています。その意味で、それより以前に進路を確定させてしまう件のプログラムは僕にとって適していないと思います。そうやって人生を決めるのも、悪くないのかもしれませんが、僕にとってはそれは不幸へ繋がる道だと思います。
僕が相手の主張に対して言葉を尽くすのは、その主張を論破して変えさせたいのではなく、ただ相手が僕の主張を変えようなどと二度としてこないようにするためにそうするのです。あなたが考える程度のことは僕も考えています、なぜあなたはその程度の議論で僕の判断が変わると考えたのですか?という、そういう態度です。
僕は(まだ)忘れられていないし、その見込みも(まだ)ない。
「食べもので遊ぶな」という主張があって、僕もかなりのところ共感するのですが、この主張を表明することそのものはあまり好きではありません。これはあくまである一つの道徳(?)体系における命題であって、それを共有しないひとには意味をなさないものだし、それを変えさせることはできない(または、何らかの範疇を超えている)と思うからです。
常識というのは大きめのローカル・ルールでしかなく、ただそれが大きいというだけで常識とされている、というのが僕の立場です。そしてそれを「正当化」(一般化)して見せているのはそれが多数派であるという一点のみであり、直接の対立の起こる接点においてその多数派性には価値がないと考えます(とうぜん、集団としての意志決定の段階ではやはり多数決が採られるのですが)。だから、価値観同士の対立の場において、それが多数派であることを根拠に相手の価値観を攻撃することは、できない、と思っています。それは実際には行われており支持はされます。
類似して考えているのは、「水からの伝言」の内容を、科学的には間違っているとしても道徳的によい話なので教育などに用いることに問題はない/良い、というもので、たとえどんなに(自分にとっての)道徳的によいものであってもそれを「正しい」主張とすべきではないのでは、というようなことです。
僕は、多数派の敵である、ということを、この数ヶ月で明瞭に認識しつつあります。多数派の意見に賛同できない機会が積み重なるにつれて、それはとりもなおさず自分が少数派であることを意味しており、少数派は多数派と敵対するほかありません。そういうわけで、僕は多数派の敵です。実際には、多数派が少数派を無視することに反発しています。それと、そもそも(過半数というほどの)多数派など存在しない、とも思います。局所的に自分を多数派に組み入れてゆくひとたちの集団。
少数派が多数派に押しつぶされないためには、少数派が少数派として多数派から独立して干渉しないようにするほかないのではないかと思っています。それが、「断絶しかない」の意味です。
人間は、互いにはわかりあえない、ということを、あまりにも簡単に忘れすぎると思います。そういう幻想は機能しうるとしても、適用限界というものはあり、それを越えれば破綻します。それのための断絶です。
なんか今日は妙に長々と書きましたね。なんだこれ。
夕方に薬局にゆくついでに本屋によって、「順列都市」を買いました。六年くらい前にλに貸したっきりで手許にないままで、別に返してもらうのでもいいのですがたぶん彼の引っ越しのときにどこかにしまったままなのではないかなと思うので買い直すことにしました。貸してたせいでイーガン再読週間から漏れたりしていてほとんど覚えていません(当時きちんと理解したという感覚もないし)。読みます。楽しみ。
明日はfとまどマギの映画を観ます。前編後編両方観るのかな(そんな時間あるの?)。後編だけかもしれません。それから元気だったらお酒をのむと思います。