diary

1001

0110 0220 0330 1001 1111 1221


「圏論の歩き方」読みました。読んだは読んだけど半分くらいはぜんぜんわからなくて、ただおもしろそうな感じに酩酊しただけであった。圏論的論理学のこととか、圏論的量子力学とのアナロジーとか。残りの半分は定義を紙に書いたりしながらなんとなく雰囲気はわかったので、それはそれでよかったし。でも、わからなかったパートがもうちょっと簡単だったらよかったのになあ、とも。


朝起きたらOSXのEl Capitanが来てたのできゃぴきゃぴしました。いまのところ特段おもしろいことはないけどこっちでもシステムフォントが変わった。だんだん好きになってきた気がするけど、やっぱり数字の2と7とがジオメトリックすぎる気がする。慣れかなあ。

仕事は比較的順調。ただロジック部分の仕様が地味にちょっとよくない可能性が出てきたので、ちょっと修正が必要かも。どう直せばいいのかまだ考えてないけど。あと現実的な使用でどの程度問題になるか、とか。
あとそろそろCoreDataとかAPIとかと向き合わないといけない時期なんだけど、APIは来週まで来なさそうだし、もうちょっとUI詰めておこう。あとロードが遅いのをいいかげんなんとかしたい。半分は地図が悪い気がするけれど(遅延ロードできないかな?)。


今夜はこれから「ビューティフル・マインド」を観ます(アポロ13はどうした)。


1002

こんな体験はおありだろうか。あちらにあったはずの満月が、なぜかこちらで笑っている。新作を買ったはずなのに、なぜか本棚に既にある。ケーブルを挿す向きを何度も間違えたこともあるかもしれない。そんなことが起こるはずはないのに。

これらはみな、勘違いではなく、世界が頻繁に書き替えられていることの証拠だ。さっきまであちらにあったはずの月は、さっきまであちらにあったし、あなたがまだ買っていない本を、あなたはまだ買っていない。ただそれが、ちょっとした気まぐれで、こちらで顔を出してみたり、本棚の隙間に芽を出したりするような、これがそういう世界だというだけの話だ。


昨晩は「ビューティフル・マインド」を観ました。おおむねよかった。ナッシュがちゃんと格好良く描かれていたし、映像全体も説得力がある感じだった。IQ三千那由多各位はなんでもかんでもパターンを見出したりしないように注意しましょう。パターンが見えたらメンタルへ!


仕事はまあまあ順調。ただ面倒なところがたくさん残っているし、ちょっと困った不具合が見つかってしまったし、うーむという感じ。不具合の件は週末にちょっと調べてみようかなと思う。


今夜は「アポロ13」でも観ようかなと思います。明日はまた散歩に行こう、先週と先々週みたいに馬鹿みたいに歩くつもりはないのだけど(でもそうしてもいいかもしれない)。風邪気味なのがなおってほしい。


薄いタオルケットいちまい、薄暗い部屋に夕陽、君と僕、ねこねこ。


1003

昨晩は「アポロ13」を観ました。まあよくできているけど普通という感じ。しかし現場の人たちすごいなあと思う。突然のトラブルに冷静に対応できるってのは、硬く積み上げられてきた知識と訓練の賜物なんだろうな。僕はそういうトラブルには遭いたくない(そりゃみんなそうだろうけどさ)。

あと寝る前にちょっと考えたら仕事で見つけたバグが直せたのでちょっとコード書きました。なんだ、あんなに複雑なことする必要なかったんだ。


昼過ぎに起きてふらふらと歩きました。最初は湯島聖堂に行ったのだけど、そんなにおもしろくなかった(というか、あれ何?)。
そこからまたふらふらと歩くと雷門があって、えっ浅草ってこんなところにあったの、という感じ。マジで?(広義)徒歩圏じゃん。別に用はないので雷門の写真だけ撮って通り過ぎたけれど。
もっと先にゆくと隅田川があったので、川沿いにしばらく歩きました。スカイツリーがすぐ近くに見えた(えっスカイツリーってこんなところにあったの)。あれってよく見ると下のほうは軸対称じゃないんですね。
帰りはちょっと疲れたので地下鉄で帰りました。こないだほど歩いたわけじゃないんだけどな(12km)、やっぱり具合悪いのかな。

帰ってからは円城塔の「エピローグ」が届いていたので読んでいます。なにこれ、おもしろいじゃない。こうだよ、こう途方もない概念を軽い感じでドンドン出してくる感じ。いい。


夜になってfから電話があって、いろいろ話をしました。彼女から結婚について訊かれていろいろあったそうです。人間が大人になってゆくなあという感じ。
独りぼっちで暮らしていると、独りでいることの寂しさばかりが心に降り積もってゆくけれど、独りでいることは気楽であることなのだと、それを同じくらい享受してもいるのかもしれない、気づかないだけで。


さて、明日は夕方にaとßと夕飯です。先週みたく具合悪くなったりしないといいんだけど。だいじょうぶかな。喉がちょっと変かも。もう寝よう。


1004

僕が幸福になるためにはものすごい幸運に恵まれるか僕が信念体系を変更するかしか手段が残っていない気がするのだが、前者は望み薄だし、後者はアイデンティティにかかわる。

ものすごい幸運よ、来たれ(でなければ、甘き死よ、来たれ)


お昼に起きて本を読み、夜はaとßと夕飯を食べました。お魚。おいしかった。途中で具合悪くならないか心配だったけど大丈夫だった。行く前はけっこう具合悪くなっててこれはやめたほうがいいのではと思ったのだけど、行ってみたら案外元気で、しかし戻ってみると微熱らしく、よくわからない。無事にやりおおせたという安堵感だけがある。

fが東京に戻っているよと話したらじゃあ今度みんなで飲もうということになった。楽しみ。でも僕とaとfでどんな話をするのかいまいち想像がつかないよね。


頻繁に具合が悪くなるのは心因性なのではと最近は疑っている(特に人と会う約束の前にひどくなる傾向があるし)のだけど、実際に会ってみるとそれなりに元気になることとどっちが気のせいなのか僕には判別がつかない。僕の身体はいったいどうなってしまったんだろう、僕はもうわからない。病院に「どうなってしまったのかもうわからなくなってしまった科」みたいなのがあれば行くのにと思う。自律神経失調症というものがあるらしいと最近知ったのでそれを疑ってはいるのだけど、この病名は日本以外ではあまりメジャではないらしいので、実在するのかよくわからないと思う。

世界は気から。


微熱があるのはなんなんだろう、風邪なのだろうか。あまり風邪という感じはしないのだが。ただちょっとふらふらする(のが気のせいなのか、しかし「ふらふらする」ことに気のせいもなにもなかろう、とも)。髪が乾いたら寝る。それまでは本を読む。「エピローグ」、ものすごい勢いで途方もない概念が繰り出されてくるのでわけがわからなくなっている。これに追いつけるのはいつのことになるやら。


「大人になる」ことの一部は、道徳を適切に身につけることと同義なのだが、そのやりかたとして、それを天与のものとして自然に自明に感じられている「ことに気づく」人と、なんとか正当化する術を見出す必要があった人とがいる、ような気がしているのだが、前者なんて実は存在しないのかもしれない、とも思う。
道徳は本当は天与のものであると信じなければならない(正当化が可能であっては意味がない)もので、だからその正当化云々についてあからさまに語ることは不道徳なことだ。それでもその正当化が必要な人がいて、あからさまに語られることのないその正当化を探す必要がある、のだと思う。


1005

みんな〜!ねこを助けてるか〜い?


「エピローグ」読みました。ヤバいものが通り過ぎていったという感じはあるのだけど、そのヤバさをどのくらいちゃんと理解できたかというと厳しい。「書けたから書いてある」ものたちは、それはそれでいいんだけど、そこじゃないはずだよな、とは思う。しかし物量に圧されている。寝かせる。

ところで「屍者の帝国」が公開されているそうですが、映画館に行くのが不安(途中でお腹痛くならないかとか)なので躊躇しています。それになんか映画ってすごい疲れる気がするし。うーむ。自宅で観られるようになるのはいつごろかしら。


仕事はいまいち。バックエンドについての検討会議をしたのでそのあたりに着手できるようになったのはよかったけど、わりと真っ当に風邪っぽい気分だったのでなかなか効率は上がらず。明日はもうちょっと元気だといいんだけど。


死なせないだけならワクチン一本で足りるかもしれないけれど、生かすのにはそれなりに土地と資源が必要で、その非対称性はこれから人類を不幸にするのでは、ということは思う。二億人が救われるのは喜ばしいことかもしれないが、地球がその分大きくなるわけではない。


「努力」というのは「我慢」と混同される傾向があり、みんなが一生懸命努力することでみんながつらい目に遭い、しかし状況は悪くなるばかりだ。


1006

昨晩は「レトリック認識」を読んでいました。レトリックの本だけあってか文章もとてもすてきです。「私が口をつぐむときは、その沈黙さえも日本語である。」「私たちは日記すら、常套語を工面しながら、他者のことばを引用するようにしか、書くことができない。」そういえば、書くということが真実存在しているのだろうか、というのはこれペンの問題意識でもあった。


お昼から仕事。真っ当に風邪い。実装はまあまあ順調に進むのだけど、WebAPIのリトライ絡みのことを有耶無耶にし続けているツケが回ってきた気がする。まあ、まだ余裕あるうちに回ってきてくれて助かっているのかもしれない。明日もこのことを考えるでしょう。


精神の工合が今よりずっと悪かったころは、心の中を覗き込むと満天の星空のようにきらめいて、そのひとつひとつがそれぞれに苦しみを背負い込んだ言葉たちだった。僕はそのひとつひとつを指差すだけでひとりでに一連の表現がするすると流れ出てきたものだった。でもいつからか、もはやそうではなくなって、心の中を覗いても、光沢のない、のっぺりとした膜のようなものが僕をぶよぶよと拒むばかりで、なにも書くことはできなくなってしまった。そのことがよかったことなのかどうか、僕はよくわからずにいる。


ノーベル賞、なんか待ち時間が長い感じになっているらしいのだけど、まあ偉大な発見が年に一個ペースとは限らないもんな、という話なんだろうと思う。その点年齢制限のあるフィールズ賞は偉くて、どんなに偉大でも出さないものは出さないと言うことができる。まあ年齢制限だけじゃだめかもしれないけど。あと数学者人口とか。


1007

そろそろこのblogもフォント変えたいよね、とは思う。そういえばリニューアル計画というものが半年以上前にあったはずなのだけど。うーん、歳のせいかな。


今日も異常に具合が悪い。夜は比較的元気なんだけどな。うーん、単なる風邪ならいいんだけど、それほど風邪って感じでもない気がする。よくわからない。早く寝るべきだ。

仕事は順調。ただWebAPIとの連携がまったく手つかずなのが心配です。なんらかのモックを書くとかで進めるべきなんだろうか。ただインターフェイスさえ明らかでないのでそれもしづらいのよね。うーむ。


昔から、作文が苦手だった。言葉は僕のはずなのに、僕でないものを書こうとするのがどうしても嫌で、不安だった。そんなとき言葉は、初めて会ったみたいによそよそしく、頼りないものに見えて、僕は広がる真っ白な平面を前に、ただ立ち尽くすことしかできなくなってしまう。こうして僕のことを書くときならば、言葉は僕の指先をしっかりと支えてくれる、頼もしい指先でいてくれるのに。

もっと、僕は僕でないものを書けるようにならなければならない。僕でない場所を。僕でない時間を。その向こう側の、僕でない誰かを。でもそんなこと、ほんとうにできるんだろうか。言葉はこんなにも僕なのに。「何が書かれていようと、書いてあるのはつねに言葉だ」と言いたくなる。でも、言葉が僕であると思っているのは僕だけなのだ。だから、言葉を使って書くかぎり、それは僕ではないのかもしれない。でもそのことは僕にはちょっと、むずかしいと思う。


1008

「クリスピー・クリーム・ドーナツ」、絶対バンド名だと思う。スリーピースの。


目が覚めたときは比較的気分がよかったのだけど、振り返ってみればいつもと大差ない感じでした。具合がよくなったのか慣れたのか、僕にはもうよくわからない。

「美術の物語」が届いたので最初のところだけちょっと読みました。こういうのもわかってゆきたい(そういう態度こそが著者の批判するところなんだよ)。


お昼から仕事。まあまあ順調。Google Maps SDK for iOSはけっこう柔軟に描画できることがわかった。Androidはそれほどではないらしい。それでいいのかGoogle。
通常フローがだいぶ整ってきたので、だいぶそれらしい見た目になってきました。がんばろう。


生きることはしんどいことだ、とあたりまえに思うようになっていたのは、いったいいつの頃からか。