0719'
結局うなぎ会にはゆきませんでした。そこまでひどい具合だったわけではないのだけど、それは安静にしているときだけで起き上がってみると微熱が出る、というのがここまでの流れだったのと、ここでしっかり回復しておかないと月曜日に差し障りがあると思われたからです。行きたかった。最初誘われたときはあまり乗り気ではなかったのだけど(僕はどんな顔して彼らと会えばいいのか、といういつもの不安)、それでも僕が普段接するような人々よりはずっと背景の似通った人たち、なつかしい人たちとお話できる、ということへの期待が日に日に大きくなっていたことに気づく。せっかく誘ってもらったのに、申し訳ない。そういうわけで体調も相俟って精神的にもブルーです。輝くものたちは僕を置いてどんどん遠ざかってしまう……。元気になりたい……。
なのでamazonで本を買う健康法を実践しました。
夕方は取締役に頼まれていたGoogle Spreadsheetのスクリプトを書きました。僕としてはあんなブラウザ上で動くモノにあんまり無茶をさせるべきではないと思うのだけれど……。
「長門有希ちゃんの消失」最終話を観ました。なんですか、これ。これが「長門有希の物語」?
amazonで本を買う健康法の一環として、何年も前に薦められていた「私のいない高校」をkindleで買って読みました。最近はkindleで読めるものはkindle版を買うようになりました。本棚が限界だから。
文章は、一人称的な視点を排除して、便宜的に担任を中心に据えた、高校での数ヶ月の描写で、要するに前衛小説と呼ばれるのでしょう。検索すると円城塔の名前を横に置いている人もいました(僕は全然違う種類のもののように思われるけれど、中心からの距離という意味では似たようなものなのかもしれません)。
タイトルは文中に(「私」の存在をめぐる)なんらかのトリックが置かれているように読めますが、そういったものが明示されているわけでもなく、ただ本当に淡々と学校の話が書かれています(実際、学校の先生が書いた記録的な本を下敷きにしているそうです)。とにかく「小説的な」出来事がまったく起こらない。誰もなにも成長しない。所々に不穏な描写(生徒が所持品を紛失するとか)が入るのに、それらは本当にただの日常としてその後触れられることもない。それを不穏だと思わせているのはこれが小説として提示されているという事実一点のみであり、これが本当になんらかの報告書であればそうは思われなかっただろう。タイトルもタイトルで、それらの不穏な描写を拾いあつめながらいつ仕掛けが明かされるのかと読み進めるのだがついに最後までなにも起こらない。僕は何を読まされたんだ。小説を読んだのとも、報告書を読んだのとも違う、この読後感は、なんなんだこれは。
髪が乾いたら寝ましょう。明日はもうちょっと良くなっていてくれないと困ります。体温は今日はあまり上がらなかったけど、単にずっと部屋にいたからでしょう。
追記:こういう「放課後のプレアデス」評を読みました。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20150714/p1
すっごいなと思います。僕にはこんなにとても語れない。同じものを観て、僕だってこの作品とても好きだなと思ったのに、僕にはこれの1%くらいしかそれを説明することができない。それは悪いことではないと間違いなく思うけど、でも残念だなと思う。いや、こうしてそういうのが上手い人が書いてくれるのを読むのは十分に楽しいけれど。でも。