0715'
昨晩は数学をすこし、勉強会準備をすこし、読書をすこし。
仕事の前に病院にゆきました。状況はあまり進展なし。次回は三週間後ですがひどくなったら早めに来るように、とのこと。
待合室で場の量子論の教科書を読みました。$SU(3)\times SU(2)\times U_\mathrm{Y}(1)$対称性。$SU(3)$部分はゲル−マン行列を基底とする8自由度のグルーオン場、$SU(2)\times U_\mathrm{Y}(1)$部分は電弱相互作用を記述していて、$SU(2)$部分が$W^\pm$, $W^3$、$U_\mathrm{Y}(1)$部分が$B$。で、これらは対称性から質量項を禁止されていて(特にクォークとレプトンは左巻きと右巻きとで変換性が違うので質量項で混ざることができない)、それは自発的対称性の破れを待たねばならないのだけど、それはそれとして、この$SU(2)\times U_\mathrm{Y}(1)$部分が部分的に破れてゲージ対称性$U(1)$が残り、$W^3$と$B$の線形結合の片方が$A$、もう片方が$Z^0$になるそうです。残った対称性を持つ$A$は質量ゼロの光子で、破れた部分$W^\pm$と$Z^0$は質量を獲得する、とかなんとか。ふーむ。あまり真面目に計算を追ったりしていないから、なんだかふよふよした感じだ。こんな理解でええのかしら。
仕事は暇。不具合対応と次バージョン申請。あとGoogle Spreadsheetのスクリプトをちまちまいじったり。最近は二週に四日くらいこういう暇があるような気がする。うーん……。
ところでのんのんびより二期二話を観ました。仕掛けがよくわからないのだけど、変奏曲としてもう一度やるつもりなのかしら。なぜそんなことを。それより一期の頃からこのための準備があったのだろうか。フムン。
お話はよかったです。ループものの醍醐味みたいなものをすこし感じました。
活字文明がここまで発達したのだから、もう言葉の意味なんてそうそう簡単には変わるまいと漠然と思っていたのだけど、「エゴサーチ」を単に検索の意味で使う人がいるらしいとか、「デマ」が完全に法螺話と同一視されつつあることとか、そういうのを思うとまったく誤りだったなあと思う。たぶん、大勢の人は僕がそうであるほどに言葉の意味なんか気にしてないのだろう。みんなもっと言葉を大事にしたほうがいいと思う。我々にはこれしかないんだよ?
言葉の意味で思い出したのだけど、「変だ」という言葉には「珍しい」という意味と「狂っている」という意味があって、この二つが同じ言葉で指されているのは、人間がそういうヒューリスティックを使って生きているという話なのかなあ、と思いました。こういう混乱をていねいに解きほぐして生きてゆきたいですね。
さて、この数日具合がよかったのですが今日はちょっと悪くなったかも。続くようならまた病院にゆかなくては。あと風邪気味っぽいのも継続中。はあ。
追記。高校生の時思いついた思考実験を思い出したので。
計算機のメモリ配列上にシミュレイトされた世界・その中に住まう意識を考える。この計算機は完全に決定的にシミュレイション時間の各ステップを進めてゆくのだが、ある一つのステップの計算中に無限ループが発生し、次のステップが永遠にやってこなかったとしたら、そこに生きている意識体はどんなことを思うか。
で、これを僕は当時提出するだけでなにも考えていないのだけど、これはエデンの園配置の逆バージョンになっていることに今日気づいた。エデンの園配置には過去のパターンが存在しないが、この計算機には未来のパターンが存在しない。それは「内側」から見たらどういう意味か。「順列都市」では、エデンの園配置は、そのパターンが外の世界からの介入であることを証明するために(そんな必要があるかはともかく)使われていたが(たぶん)、ではこの逆エデンの園配置は、世界の外側に出るために使われるのではないか。つまり、もしそのステップを越えても意識が続いているのだとしたら、それは計算機の外のどこかで計算されている以外にあり得ないのだから。
ほんとに?