0917
お昼から仕事。風邪っぽいけどまあまあ順調。ネットワーク関係の管理について。トークンが切れたら自動でリトライかける機構が書けたのでまあがんばったと言えるでしょう。
ところでSwiftの地雷を踏みました。enumの自明な比較がコンパイルエラーになります。どうも別のenumやクラスとごっちゃにされてしまっているようなのだけど、明示的に型を書いても明らかにおかしな型エラーを吐きます。リリースノートにもenum絡みの不具合が一件あったと思うけど、それとも微妙に違う気がする。ふうむだ。
「真似をする」ということにも上手い下手があるのだなーということをふと思い出したのでした。
高校時代にちょっとだけ萌え絵を練習していたのだけど、友人が模写したという絵がまったく同一視できなくて、だのに当人はそうは思っていないらしくって、ああ真似をすることにも上手い下手があるんだ、と思った。彼(高校が男子校なのでこの友人は男性に型推論されます(お前は学校以外に友人がいないのか(はい)))はそれが同じに見えたということは、観察と比較の精度が操作の精度よりも下にあって、それが限界を決めていたのだな、と思う。僕は操作の精度が低くて、自分で描いた線がどうしても自分の思ったとおりに進まない、そっちが限界を決めているのだろう。
と、思ったのだけど、僕に起こっていたのは本当に「頭では正しい線がわかっているが、手の精度がそれに追いつかない」だったのだろうか。実はそうではなく、頭でもよくわかっていない、ただなんとなく「知っている」ような気がするだけのものを描こうとしたから、手が曖昧な指令を拒否した、ということなのかもしれない。そういう取り違えというのは生活の中でよく起こっている気がするから、なんだかこれももっともらしく思えてくる。でも、模写でそれが起こるとなると頭の中にさらにもう一部屋作らなきゃいけないっぽい(いま現に見ているものが、写すまでのあいだに有耶無耶になってしまうということだから)し、実は嘘かも。
いずれにしても、そんなのは練習すればある程度の水準にはなるに違いないものだし、そして僕は練習が嫌いだったから、それでおしまいになってしまった。大学に入ってからもちょっとだけ練習したけど、同じこと(そういえば、大学で一緒に練習した彼らの中にはそこまで模写が下手な人間がいなかったように思う)。練習嫌い。描きたいものなんかない。人間を描くということに対する不安感(これはまったく欺瞞的なものなのかもしれないけれど、「いま自分が描こうとしている人間がどんな人間でどんなことを考えているのか」みたいなことが僕にはまったく想像できなかったし、そんな状態で人間を描くことがなんだかとても「不道徳な」行為であるかのような思い込み)。
さて、遅くまで仕事をしていたせいで遅くまで日記を書いています。これからお風呂に入って眠ります。