0817
昼からδと東京タワーへ行きました。といっても目的は来月閉館してしまうという蝋人形館だったのですが。
蝋人形というものがよくわかりません。自分に似せて蝋人形が作られるということや、偉人?に似せて蝋人形を作る、ということの文化的な意味がよくわからない、というか。肖像や写真のようなものなのでしょうか。
僕はあそこにゆくのは三度目か四度目かだと思うのですが、あそこに展示されている蝋人形のうちのどれかが実は人間なのではないかといつもびくびくしています。実は人間、というか、単に人間を蝋人形と思い込んでしまっているのではないか、という感じ。
そのあとは東京タワーへ昇りました。そう、スカイツリーもあることだし今更あんな赤いトンガリに昇りたいひとなんてそうおるまいと高をくくっていたのですが、お盆休み?の影響もあってか結構混んでいました。昇る途中のエレベータで、ゴンドラ(?)から見える景色を動画に撮りました、これはグッド・アイデアではないかと思いましたが、鉄骨が邪魔であまりよく見えませんでした。
せっかくなので、普通の展望台よりさらに100m高い特別展望台にも昇りました。いつもより100m高い景色はどんなもんかいなあと思いましたけど普通でした。緑色の公衆電話が置いてありました(二十世紀の欠片)。
降りると、藤子・F・不二雄生誕八十年記念展?みたいなのがやっていました(昇る前から知っていたしチケットも買っていたのでこの記述は嘘ですが)。せっかくだからと行ってみたけれど僕はドラえもんくらいしか知らないのでもしやつまんないのでは、と危惧したけれども、なにやらいろいろと原稿が並べてあって読んだらわりとおもしろかった(と言ってしまうのも違う気がする、退屈しない、くらいだろうか)。
ドラえもんの道具、「いやよく考えるとおかしいだろ」みたいなものばかりなのですけれども、その「よく考えると」を忘れていろいろなものを考え出す、というのがひとつの才能だったのだろうか、とか思いました。そういうのをSFと呼ぶのか僕はよく知りませんが(SFの定義とかの話は怖い人がたくさんいるイメージ)。
そのあと夕飯を食べて帰りました。ひさびさにこんなに遊びました。楽しかったです、また一年後くらいに遊びましょう。
帰ってしばらくしたら、レーザ・プリンタが届きました。17kg、想定していたより重たいです。でもまあ、印刷の品質と速度は満足できるものだったので、ああよかったなあ、と思いました。Appleの開発者向けドキュメントをひとつ印刷しました(この枚数に耐えられるホチキスを買わなくてはなりません)。
今夜はお酒飲んでドキュメント読んで、という感じでしょうか。明日は休日ですけどもう日曜日ってちょっとがっかりです。
今日考えたこと。
なにかを想像したり、思い出したりすることは、たとえば映画やドラマやマンガの「回想シーン」であらわされるように、視覚的なものであると考えられがちだけれども、ほんとうにそうだろうか、という話。たとえば僕がいま友人の顔を思い浮かべたとして、それが視覚的・映像的なものであるかどうか、というのは明らかなことではなくて、というのも、僕がその顔を視覚的なものとしてとらえられる瞬間というのは、実際に彼の顔を目にして比較することで自分の想像が正しかったと知る瞬間まで存在しないのではないか、と思ったのです。うまく言えない。仮に僕が頭の中に視覚的に彼の顔を想像していたとして、それが視覚的な意味で正しいと知れるのは実際に彼の顔を目にしたときでしかありえなく、実はその瞬間まで視覚的なイメージは存在しないのではないか、ということ。
それとも、仮に僕にそれなりの絵心があったとして彼の似顔絵を描くとすると、その似顔絵を彼と比較することで、僕が彼を目にすることなく視覚的なイメージの正確さを確かめることができるのだけど、実際僕が似顔絵を描くという行動のなかで起こっていることは、彼の顔を再現するための描画の手続きを順に実行しているだけではないか、とか。つまり、僕の中で彼の顔というのは彼の顔を特徴付けるいくつかの性質の集まりとしてしかイメージされておらず、それが視覚的な顔を纏うのは実際に彼の顔を見たときに限られるのでは、というようなこと。
よくわからない。
ドラえもんの道具に「アベコンベ」というものがあって、その機能は「これで触れたものは逆の働きをするようになる」というものなのだけど、ではアベコンベでアベコンベに触れたらどうなるの、ということ。
つまり、アベコンベの逆の働きはなんなのか、ということになる。いまアベコンベの適用をAとすると、アベコンベを二回適用すれば逆の逆であるから元に戻るはずで、つまりAA=1。この両辺にアベコンベの逆適用A^(-1)を施せば、A=A^(-1)が導かれるから、アベコンベの逆適用はアベコンベの適用に等しい。すなわち、アベコンベの逆の働きはアベコンベの働きと一致するから、アベコンベでアベコンベに触れても同じアベコンベが得られるはずである。
すなわち、「アベコンベはアベコンベを不変に保つ」。これ、とてもいい言葉のような気がするので、なにかの折には使ってゆきたい(よくわからない)。
今日はたくさん書きましたね。きっととても楽しかったのでしょう。