andante

2010-12-09

十二月九日ですけど!

午後からバイトiPadでほにゃほにゃiPadのことはすこしわかるようになってきたけどまだ内部的なこととか理想的な設計のこととかはわからないそろそろQuartzのこととかちょっとずつ勉強できたらよいかもしれない

それにしてもタスクがぷちぷちと消化されてゆくのは気持ちがよいなあ昇華はされんよ


ディベートってものが最近流行ってる小学校でもなんか二手に分かれてよくわからん議論の訓練をするのが流行ってるっぽい僕はあれが好きじゃないこれから好きじゃないことについて書きます

ぼんやりと誰かを説得することとかについて考えていたのですたとえば携帯電話の電波が心臓ペースメーカに悪影響を及ぼすから優先座席の近くでは電源を切りましょう的なことが電車には書いてあると思うのですが最近の携帯電話の電波はそんな影響ないという話も耳にするわけですwikipediaのペースメーカーの項に載っている最近の調査によれば3cmまで近づけてようやく干渉が認められるとのことらしい

まあ具体的なデータはどうでもよくてともかく携帯電話を使っていてなにか言われたとしますそのときにまあてきとうにすみませんとか言っておけば済む話なのですが仮にこのデータを武器に反論したとしましょう最近の携帯電話はそういう心配ないからでもそこで返ってくる反応ってのはまあ屁理屈言うなだの常識だのなんだのというものだと思われるわけです(このへんはまあ僕の被害妄想じみた世界観によるところはあります)

ここで考え事が飛躍します

僕の想像する大勢の人々は議論をすることを好まない常識とかなんかそういうよくわからないものに押しつけてそれに従わないことをよくわからない言葉で否定するだけど議論というのは二人の人間がいたときに両者が共通の理解に到達することのできるひとつの方法だとそういう認識があれば議論的なことをせずにはおられないはずだと思うわけです理屈を捏ねずにはおられないはずなのです

そういうことを学校とかで教わるだろうかと思ったときにディベートのことを思い出したのですが僕はあれが嫌いなのでなんでかなーと思ったわけです(長い前置き)あれは僕の思っている議論とは違う観衆の存在を前提としたなにかだそれってふざけてる

僕の考えている議論的なものというのは個人と個人が真っ暗闇の中からどうにかして二人で正しい(または少なくとも間違っていない)答えを築き上げるためにある道具なのであって大勢を味方につけるためのものではないしその大勢が理想的に論理的な思考をするならばまだしもそんな観衆はいないのですいろいろな情報を先入観を廃し分け隔てなく考察して真実を見通す理想的な観衆はいませんそれだのにそういうものを仮定してそんなものを多く味方につけた方が勝ちなんてことにしてしまってはいけないと思うのですひどい話ですそうではなくて共通の諒解を打ち立てるための手法としての議論的なやりとりがもっと奨励されるべきと思うのです

みたいなことを思ったのでしたでもこの違和感は僕がかつて終わらない終わりの会で吊し上げられる側の人間だったということに由来するような気がしますあの脱力感結局僕も自分が知らぬ間に辿ってきた道筋に拠ってしか思考できないのだなあと思って嫌になったのですがそれはまた別の話です

何を言っているのかよくわからなくなってきた結局大域的な正しさなんてものの非存在を訴えかけたいだけなのかもこれについてもうちょっと考えようと思いつつもう考えてもしょうがないような無力感が絶壁してる


http://togetter.com/li/76956
これのことも考えるこのどうしようもなさがなんか自分の心にちょうどよく落ちつく場所があってじゃあこの先はと思う


さて明日はバイトがないので家でゆっくり論文を読みますこれから数日けっこうヘヴィなスケジュールになりそう今夜はどうしようかなけっこう消耗してるしなあ


さっき今日の仕事についてほめられたのでうれしい