andante

2010-08-25

八月二十五日ですけど!

有限生成アーベル群の基本定理


車を買ったらナンバーは1729がよい


今日は代数学XCの授業ノート(が学科のwikiに公開されてるもの)をすこし読みましたこれから夕飯に行って戻ってきたらまた読むでしょうしかし可解群の定義がいまいちしっくりこないというかこれってなにがうれしいのんみたいに思います(漠然とした予感というか聞いたことあるような気がするのですがたぶん五次方程式の解の公式がないことと(対称群S5が可解でないこととは)関係がある)

あと夜はSとSkypeいつのまにか一日コミュニケーションがないだけでひさびさと思うようになっていてなるほどなーみたいな週末は新宿にでもゆくつもり涼しくなったら浅草にゆきたいななど(めも)


人類に期待していない度合がひどいなと思った結局しょうがないじゃんバカなんだからみたいに思っている節があるしそういえば正しく生きることができれば幸せになれるというのは対偶を取ってみて不幸になるのは正しくないからだになる(よな)

なんでこんなことを考えたかというと似非科学のこととかなんだけど仮にも科学側に属する人間としては似非科学の蔓延は科学の信頼のために阻止しなくてはならないのかなとかまあでもみんなが科学なんかもういいありがとうのほうがいいっていうならもうそれでいいんじゃないかなとも思うそういうのを信じてる人ってのがいたらば全力でこいつバカじゃねえのとか思うけどその人がなにかを信じているからといって僕の信じているものの価値が少しでもおとしめられるわけではないのだからまあ好きに信じればよいそれに人を救ってくれるのは正しいことじゃなくかっこいい物語だ

たぶんこういう考え方ができるのは日本にいるからなのだろうけど(話の着地点が見えない)(ので投げる)


正しいことは傷つけるばかりでなにも救ってはくれないなぜならその正しさは世界の全部に広げることができないからだ自分の中の自分じゃない部分は正しさなんか興味がないしそもそも世の中には自分以外のほうが多い完全な正しさの統一の中で浮かんでいたいのにそこに僕はいなくてただ機械仕掛けで進んでゆくその満足を得るためには神の視点に立たなくてはならないのだけどいや神の視点に立つことができればいまの世界だって十分透明で完全だろうだからやはり自分が無になることが重要なのだ

うーんぜんぶ嘘でも解脱したいな


IRCに高校のパソコン部の友人が久々に(三年ぶりくらい)現れて懐かしい気持ちだ彼はたぶんとても優秀今なら彼ともう少しおもしろい話をできる気がする三年前の彼は三年前の僕をどう思っていたのだろう