六月十一日ですけど!
さしたる理由もなく午後出勤。物理学演習IV。新しい教員はなんかやかましい人で邪魔だなあと思ったり。丁寧な人なのだとは思うけどなんか好かない。
でバイト。なんか異様に消耗していてぜんぜんだめだと思っていたけど案外と作業は進んだ。まあ五時間もあるとけっこう進むものだ。
エレガントな検索機能のエレガントな例外処理と、あまりエレガントでない処理を書いた。それからデザイナさんが送ってきたらしいwebページの画像をちまちまと切り出したりした。そんなことしないで最初から切り出した物を送ってきてくれた方がいろいろ楽だと思うのだが。
そういえばfλのサークルのwebサイトのことを考えたのだった。細かい仕様についてもうすこし詰めなくちゃいけないところがある気がする。主に保守とかそういうところに関連する仕様のこととか。僕も彼らも関係がなくなって知らない後輩たちだけのサークルになってもきちんとコンテンツを管理できるようでなくてはいけないわけで、Wordpressなんかに丸投げしてしまったら楽なんじゃあないか、とか思わないでもない。まあデザインはいずれにせよ作ってしまわなくてはなるまい。
定量的にものごとを表現できて、なおかつ叙情的(?)な言葉の発達が遅れていると思います。言語体系として。それとも僕が知らないだけか。たぶん、たとえば科学の世界に叙情的な言葉はものごとを曖昧にするばかりでよくないと考えられてきたと思うのだけど、なにかを表現するときにそういう定量的な言葉を使いたくなる曲面というのが(僕には)存在するように思うし、それをやわらかくくるんだ、それでもかっちりとした、そういう言葉が必要に思うのです。ちゃんと言えていない。たとえば「ガウス分布に従う」をもうすこしやわらかな言葉で表現したいと思ったときに、たとえば「釣り鐘状の」とか言ったのではだめで、やっぱりガウス分布であることを表現しつつ、なにかもっとほわほわした言葉を使いたいのです。むつかしい。
さて、Sは部活らしいというので日曜日の外出予定が点滅しています。しかし一ヶ月以上も先の準備なのだし、たまには休んでいいのじゃあないかと思います、というのはなにかいろいろなバイアスがかかっている気がします。かなりダブル・スタンダードだ。
そう、僕は放っておくとダブル・スタンダード解に落ちつく傾向があるからよくない。世の中のほとんどの物事は程度問題に過ぎなくて、きちんとした線引きができることなど少ないのだけど、だからといって場当たり的に(あるいは自己弁護のために)基準を決めるのではなくて、統一した基準を持たなくてはいけないのに。そんなこと所詮僕には無理なのかもしれませんけど。そんなに大きな正しさを抱えることはできないに決まっているのだから。結局のところ局所的にしかものをとらえられない。だって相互作用ってのは近くないと効果を持たないから、きっとそういう風に進化したのでしょう。いま適当言ってるぜ、イェーイ。
まあ日曜日が暇になったらなったでレポートを書くのですが。そういえば明日はゼミですがこの消耗具合からして出られる気があまりしません。出なきゃ。