andante

1709

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結局まだ実家にいますが風邪を引いたらしく寝込んでいますこんな状態で朝はちょっと食欲ないくらいだったのだけど伯母一家と会食をしたけれど具合が悪くてずっとウェーとなっていました今もウェーとなっていますなんだこれ

母を見ているとこのくらいの年代の主婦女性というのはみんなこういう感じなのかなと誤解するけれど姉である伯母を見ているとそんなことはまったく事実ではないことがわかります薄々感づいていたが母は異常者なのかもそしてその異常性はかなり強く僕に継承されたと感じることがたびたびあって厳しい

母が自分が若かった頃は祖母に対していろいろな感情を抱いていたものだけれど自分がそのくらいの年齢になると祖母には祖母なりの考えがあったり一生懸命だったのだなと感じられるようになったというようなことを言っていたのだけどそうなったときにかつての自分の感情も同時に思い出せるのでないのだとしたらそれはただ自分の都合のよい感情移入を向き先を変えて繰り返しているにすぎないのだし共感という単語の欺瞞性がここに端的に表れているのだろう結局人間は自分の共感したいものにしか共感できない共感によって新しい知見が得られるわけではないむしろ自分の感情を正当化するために他者が用いられている

そういえば従弟だよねが今月大学入試だというので僕の大学入試エピソードが掘り返されるなどしましたいやいや確かに僕は年が明けるまではそれほど無茶な試験勉強はしなかったけれどだからってなにもしていなかったわけではないし実際三年生になってからは数学の演習の課題を解いたり物理の演習書も一冊終わらせたりしたのよとはいえ僕自身がいや〜ぜんぜん勉強とかしなかったっすよ〜とか言っていた時期はあるのでアレなのだけれどあと世間の人たちは学校の宿題をちゃんと済ませたくらいでは勉強と認めないのかもしれないそれにしたってのだめカンタービレの再放送を見ていたくらいで正月遊びほうけていたって言うのはよしてほしい受験生だってドラマくらい観る
当時の私的な記録にはがんばれるのってせいぜい十日だよねみたいなことが書いてあってほんとうにそうだよなあと思います僕はその十日を数学の演習量不足にあてたのでしたよく言われることですが努力我慢は違っていて努力には我慢が伴うことが多いから我慢することが努力かのように見えてしまい結果的に目標達成のために我慢をすることが重要のように誤解されているのでしょうこの誤解は百害あって一利なしなのだけど残念ながら反論がしづらいそういう種類の誤解ってのはたくさんある

あとなにかの流れで勉強するというのは一般にそう思われがちなように心の中にある私的なノートに書き入れてゆく作業ではなく野球部が素振りを重ねるような活動に近いというようなことを言いましたたぶん勉強の効率の話だったと思います授業を聴いているときはわかった気になるけれどというようなまあ演習大事だよねという話なんだけど言い回しが完全にウィトゲンシュタインの影響を受けていてアレだまあいいさ


さて寝込んでいるとほんとうに惨めな気持ちになるのだけど寝込んでいないと治らないので寝込むしかありませんこれ明日には良くなってくれないと困るなあ明後日には東京に戻るんだから……