0906
大人になれないことはけっして罪などではないのだと、僕は残りの人生のすべてをかけてでも、宣言したいと思う。
昨晩は結局五時ぐらいまで起きていました。なにをしてたのだっけ。ああなんかUILabelのこととか調べて、結局うまくゆかなかったのだった。まあいいさ。
お昼からバイトに。先週から悩んでいた部分をようやくきれいに片付けられました。よかった。だけどずいぶん手間を掛けてしまった、僕はほんとうに正しい筋道を通っただろうか?ただ自分の中のうつくしい彫刻を作りたい気持ちに流されて、繊細だけど無駄に時間の掛かることをしてしまったのではないか?僕が僕に要求した精密さははたして必要なものだっただろうか?そういったことを思ってしまいます。まあでも、とにかく課題は片付いたのだし、これでずいぶんプロジェクトの進捗には貢献できたはずだ。社員のひとは社員のひとで面倒な問題を相手にしているみたいだったけど。
僕もバイトに入って長い(もう三年半になるかな)し、なんか来年就職することをどうも確実視されているっぽいので、ある程度の発言力を持っているのだけど、それはほんとうは出しゃばりすぎなのではないかと思うことがよくあります。僕はあまり周囲によく思われていないのではないか。みんなが思うけど言わなかったことを口に出してしまう、そういう人間としてとらえられているのではないか、そういう疑心暗鬼に取り憑かれます。反証の出来ないことを信じるのは間違ったことだ、ましてやそれで自分を苦しめるなんて言語道断だ、そう思うのですが、信じてしまったことは信じてしまうのであり、現に信じてしまっているのでした。はあ。杞憂だといいな、はあ。
夜はお酒を飲んでいます。圭様さんたちとの勉強会は明後日になりました。なので明日はちょっと予習をしましょう。高校物理の範囲ってどんなのだっけな(あっ、相手は高校生じゃあないですからね(謎の防御))。
今夜はまあすこし調べごとをしたり勉強したりって感じでしょうかね。はー週末だ。
ある種の青色が、僕にとって色覚以上の心地よさをもたらすような気がしています。たとえていうなら、眼の色覚の赤緑青の三色、それに加えてもうひとつの感覚があって、それが刺激されているような。なにか色ではないものを受信しているような。そういう心地よさを感じます。
具体的には、
https://twitter.com/necocen/status/341710998916460544/photo/1
とか。とても好きな青色です。
昼間、バイトにゆく途中で「脳のなかの幽霊」を読んでいたら、幻肢について、「腕が切断されたあと存在できるなら、人そのものが肉体の消滅にたえて生き延びられないことがあろうか。」と言ったひとがいた、と書いてあって、すごい想像力だなと思いました。それで、ちょっとふわふわと考えて、幻脳、というところにきて、それでなんかお話を書きました。それをさっきまとめ直して、ちょっと変えたのが
http://ofni.necocen.info/1221
です。おもしろいかどうかわからないけど、とにかく書けたので、公開しておきます。
そのお話でも書いていますが、幻肢痛、というものがあって、たとえば事故で身体の一部を失ったときに、失ったはずのその部分がちゃんとつながっているような、触った感覚があるような気がして、しかもそれが激痛をともなう、という病気だそうです。僕が初めて幻肢痛のことを知ったとき、そのあまりに「文学的な」症状に、それを知ったのが小説だったせいもあって、架空の病気なのだと長いこと思っていました。「ないはずのもの」という構造は、すこし心をふるわせる性質がありますね。ないはずの心が涙を流す、みたいに。
さっきのお話に書いてあるような、われ思うゆえにわれあり的な存在は、僕の思う幽霊のかたちに一番近いものだと思います。なにとも相互作用しない、ただ、自分はこの世に存在するのだと、ただ信じているゆえに信じている、もしかすると人間は死ぬことなんてなくて、ただそういった存在に移るだけなのかもしれない、そう思うと、さっき引用した幻肢について、人そのものについての考察は、僕の思う死生観に近いところがあるな、と思いました。それだけ。